祖父他界の知らせと突然の闇

 今は亡き祖父の積み上げてきた私の実家。戦中に多勢の兵士の苦悩を目に焼き付けながら自らは兵士たちの車両整備の技術を傍らに戦地への出征をしのぎ戦後を生き抜いた。生き残るものの使命。祖父が作り上げた整備の会社は多くの人に生きる希望を与えていきました。二輪車の会社。自転車、バイク、農耕機など、それはおのずと町の発展にも貢献していきました。祖父の姿は祖母や家族、周囲の人たちからも幾度も語り継がれてきました。

 小学校に登校した朝、教室に入るなりまもなく‥すぐに自宅に帰ってくるよう職員室から走ってくる担任が私に伝えました。その時に私は何が起きたかすぐにわかりました。

 小学4年のクラスは当時いじめの空気と、えこひいきとストレスの発散を面白がるように手を上げる担任の素行で重苦しい教室の雰囲気を漂わせていました。ようやく学校に登校していた私にとっては居場所はなく、(今ではあまり考えられないものでもありますが当時は竹刀を振り回す先生も存在しましたからね。)学校生活の重苦しさを誰にも打ち明けるすべもなかった私にとって、担任の口から祖父の訃報を告げられたことは心の行き場をさらに無くした涙の瞬間でした。

 誰かが自分を支えている事、または支えてくれて居た事を失うってとても辛いことです。家族、ペット、恋人、アイドル、愛着のあったカバンや財布、手帳や文房道具、ぬいぐるみ、コップ、ソファー…。その代わりというのは見つからないに等しいのです。だからこそまた変化を求められていきます。その時にやはり無理に自分を運んではいけません。ぐっとこらえてじっくり進んでよいのです。自分の支えを失ってもしヒントさえあれば何とかなる。ってその気持ちだけでもゆっくりと感じながら進んだ方がいいのです。心の風は突風みたいに吹き荒れてしまう事がありますから。嵐が去るように自分の穏やかさがかじられるその時に、動かしていけばよいのですから。