どんな人間にも成り得るもの
息子は発達障害が影響し私自身は自分の育児方法や娘たちと同じかかわり方では全く通じないものがありました。私は長い間、認めたくありませんでした。感情の疎通が難しい。こちらが思った言葉が返ってこない。目をそらす。・・・私は息子が目をそらすという仕草について間違った解釈をしていました。私を必要としていない子供なのだろうか。と。自閉症の特徴を良く知らず育てていたことがあだとなり、家族の中は一層亀裂や混乱、分裂的な状態を引き起こしても行きました。双子だけでも体験なのに、私は生きた心地がしませんでしたがしかし、唯一息子の良さが在りましたからその光を掴むように幸せだと理解することも出来ました。息子はとても元気な子供だったのです。それだけでも可愛いと思えたから。
しかし、発達障害は本人の問題だけではなく、家庭生活と自分の仕事のスケジュール、息子だけに寄り添う時間などなかなか思ったように取れるものではなく、学校生活の中で何が起きているのかさえ、正しく情報が入ってこないこともありました。それを逆手に周囲の子らのいじめや不登校の理由やおもちゃにされることもあり、無駄とも思える時間やストレスは日常化されていくこと。その未来のなさに何度も施設への入所を検討してみたことがあります。自分で育てることは出来ない。と。息子と話をするとよく答えの出ない会話を繰り広げていました。結論が視えない。約束が守られない。登下校の時間に車で迎えに行ってもいったいどこにいるのかさえ。自己肯定感も乱れていることや私とのコミュニケーションはまとまりを見せないまま、小学6年生を終える日がやってきたのです。
周囲が理解ある人たちだと、発達障害がある子も楽しく気持ちよく過ごせます。しかし、周囲の理解がなければそうは行きません。では、周囲の人たちに理解をしてほしいとお願いして回るか。これは運任せな面があります。私は相変わらず一人で立ち向かっていました。たった一人の先生が息子の状態をしっかり受け止めてくださる性格の女性と巡り合い、私はその時学んだのです。
自分が息子に対してこうなってほしい、とか何かしらの決めつけをしているんだと。ひとつひとつの言葉をくみ取り寄り添えていない。それは十分に痛感している事でした。でも家庭内ではできることではありませんでした。家の中が居心地悪いだろうなと私は理解をしていました。でも夫は全く理解せず『うちの息子に限ってそんなことはない』と古い考えを捨てられず、私が悪いと曖昧に決めつけ協力をすることはありませんでした。常に限界。その先に子育てに対して、家庭に対してなにかヒントを得て生活が遅れたことは一日もありません。どうなってもいいようにひたすら働くことを私は優先させました。それしか心を保つことが出来なかったのです。ずれた子育ては私にはもう、寄り添うには限界を迎えたのです。これ以上進むとどうなるかわからない。
なんでできないの?
ダメな子!いい加減にして!
こんな言葉を吐き出してきた私自身は息子がつらそうにしているのも分かりながらどうしてもいいよって。簡単に言葉を吐き出すことが出来ませんでした。幼い時の自分にもそっくりの姿。
私は自分が父親にされたことを、母親の足りなさを全てまとめて息子にぶつけている自分がいる気がしました。だからこそ、息子を愛しながらも、受け止めることが出来ないままでいたのです。
離れていても私は毎日彼を思います。息子は将来もう一度きちんと受け止めていくべき存在です。いつか所に暮らして生きていく。どんな姿になっているか、どんな心で育っているか。父親と二人の男同士の暮らし。私ががみがみと言い放っていた時の息子は今、沢山の友人に囲まれてなんとか笑顔で過ごせています。そして、見事に高校進学。私は嬉しかったです。今できることはしっかりと未来の準備をしてあげる事。だって私は彼の母親ですから。
その思いで今を生きています。
レッテルを貼られて成長した子の自己肯定感はどうなるのか?「どうせ勉強しても無駄」「勉強なんかやってもわからない」となってしまうでしょう。でも半端に子供へのストレスをぶつけてしまった私の行動は私にとって深い苦しみを残しています。息子自身はもっとその重さと日々戦っていると思います。私は彼の人生の中でできるだけ生きる道を明るくし出来るなら大切に関わっていこうと今は思うのです。なぜなら、私が離婚を余儀なくされ、かつ詐欺犯罪のトラブルに巻き込まれた際、息子とは生き別れ泣く泣く夫に引き渡してしまったからです。
大学教授であった私の夫は息子には愛情を注いでくれていました。私はそれだけでも十分でした。限界値で生きる苦しさは、私自身がなぜこんなにも自分の理想の家族と全く違う道を進んでしまっているのか?生きながら何も私には少し理解が出来ませんでした。
少し風が通るようになり、息子へ避けてきた私の視点はこれからの人生の未来を見ています。生きているうちにもう一度しっかりと手を繋いでいきたい。